現在、ALS(筋萎縮性側索硬化症:きんいしゅくせいそくさくこうかしょう、Amyotrophic Lateral Sclerosisの略) の「頭から氷水運動」が流行っていますよね。

これには、「頭から氷水をかぶるか、団体に寄付をするか」 。
という選択肢があります。団体が明言しているように強制するものではありません。

この運動に関しての是非があちこちで論じられていますが、何故答えは「その人なりの解釈で良し」としないのでしょうか。

賛成意見の論理もわかります。もちろん反対意見の論理もわかります。ただ、その運動の是非や流行の捉え方は人それぞれだと思います。

価値観は人それぞれ・・・選択肢も人それぞれ・・・今回の運動も、頭から氷水をかぶって啓発するのも正しいし、寄付をするのも正しい。そしてまたそれらを拒否するのも正しいと思います。

その人が感じ、考え、出した答えはすべて正しいのです。

そういった選ぶ権利、選択肢を1つにしようというのが”批判”というものなのかも。

もしくは、こういった考え方もできます。
今回のような運動を「あの人はああだ!」「この人はこうだ!」とあちこちで炎上するのも正しいのかも知れません。 何故か・・・そうすることでメディアも取り上げ、その病気の認知度が上がるからです。

現在、難病と言われている病気は数え切れないほど存在します。中には例外的に何らかの治療法や薬がその人の体質に合って治癒することも一部では報告されていますが、ほとんどは完治が難しいものです。

とはいえ、有名な病気や患者が多い病気に研究費が偏っているというのも現状です。 

この氷水運動を契機に、その他の難病に対する理解や周知、そしてまた土砂災害の起きた広島への支援活動に関しても考え、行動できる人は行動すれば良いだけのことだと思います。

ネット社会は時として良き流れすら停めてしまう力もあります。
行動できる人は行動し、お金がある人は使い、何もやりたくない人は何もしなくていい・・・人それぞれの選択、個性や価値観・・・それらを認め合う社会であることも大切かなと思うのです。 

少なくとも、価値観が違うからと言って、特定の人を責めたり批判したところで、傷つく人は出ても建設的な何かは生まれてこないと思う。